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人生で後悔したくなかったら正しい努力をすべきだという話

人生で後悔したくなかったら正しい努力をすべき:

「努力は必ず報われる」という言葉をよく聞きますが本当なのでしょうか?

どんな努力でも必ず報われるのでしょうか?

報われるとはどういう意味でしょうか?

この記事では、後悔せずに人生を送りたい人のために哲学的な考察も交えて考えてみたいと思います。

間違った努力とは?

例えば会社の中で一般社員から管理職や重役になるためには努力が必要だと思います。

日本社会の知的劣化と共に、企業経営層に求められる資質もだいぶ劣化しています。

会社内で出世したかったら、まず何よりも、思考停止(奴隷的パーソナリティ)が要求されます。

問題意識が高い社員を今の経営層は好みません。というよりも忌み嫌います。

経団連という強欲堕落集団には、類は友を呼ぶのことわざ通り、「今だけ金だけ自分だけ」という俗物人間がアリの大群のごとく群がっています。

そういう行動「哲学」に無批判に賛同できないと、彼らの仲間や関係者になれないのです。

会社内ではトップという名の独裁者の腰巾着になることが最重要業務だと心得なければなりません。

その部下である重役や中間管理職になりたかったら、奴隷的パーソナリティの持ち主かが厳しくチェックされます。

制度的に明文化されていなくても、無意識的にチェックしているのです。

上司のご機嫌を取るために最大限の配慮を行うというのが最重要ミッションであり、その「努力」を長年に渡って継続できる者だけが引き上げてもらえます。

例:
・たとえ法律違反の行為をしても、上司に文句を言わない。
・サービス残業にも疑問を持たない。部下にも強要する。
・自分の手柄をアピールする為なら、他人の成果を横取りすることも厭わない。
・お客や社会のニーズよりも、社内における自分の評判を気にする。
・問題が起こったら責任逃れの言い訳を考えつつ、他者に文句を言い被害者ヅラする。
・・・

こういう行動原理で動いている人は、十中八九人望がありません。

肩書を得て人より少し収入が増えますが、地に足の付いた生き方ではないため自信がなく目は死んでいます。

多くは家族から相手にされず、ヒドイ場合は定年退職離婚の悲劇を味わいます。

群れて行動し職場にしがみつく以外に選択肢が無かったので生きる力が弱く、社会の変化に対して脆いのです。

行動原理の本質を分かりやすく表現すると「自分のために他人を利用する」ということです。

忠実に宮仕えをしていても上司を尊敬しているわけではなく、自分を守るために利用できるから大人しく従っているだけです。

その上司が干されれば、手のひらを返したような態度をとります。

こういう間違った努力を続けてきた人間は、間違いなく、死ぬほど後悔しながら死んでいくことになります。

正しい努力とは?

上記の間違った努力と正反対です。

問題意識があり、主体的に自分の頭で考え、自分の責任で判断し提案します。

それが上司の意向に100%沿うものではなくても、全体や将来のことを提案する勇気があります。

目先の自分の損得よりも、他人の立場や気持ちを考えることを重視します。

例:
・法律違反の行為を発見したら見て見ぬふりをせず、上司に文句を言う。聞いてくれないならば外部の労働基準監督署に申告する。
・サービス残業は拒否する。
・他人の成果を利用させてもらう時は、その人に感謝しつつ謙遜の心を忘れない。
・社内における自分の評判は脇に置いて、お客のニーズに真摯に耳を傾ける。
・問題が起こったら原因究明と解決に集中できる。
・・・

こういう人は将来を見越した、地に足の付いた努力を継続できます。

人望と実力があり、いざという時に頼られるタイプです。

会社が傾いたり、激動の時代を迎えても泰然自若として対応できるのはこういう人たちです。

行動原理を分かりやすく表現すると「自分を脇に置いて、他者のために行動できる」ということです。

別に上司を抹殺したいと思っているわけではなく、正しいことだと納得したら誠心誠意協力します。

その上司が出世しようが干されようが態度を変えません。

こういう正しい努力を続けてきた人間は、後悔することなく胸を張って一生を送るものです。

まとめ:

「他人のことに関心を持たない者は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗は、そういう人たちの間から生まれる。」
(心理学者:アルフレッド・アドラー)

この格言は、歴史的な検証を経て生まれた真実です。

職場では毎日様々な場面に遭遇しますが、岐路に立ったり厳しい選択を迫られたときに、人間として正しい判断・行動をしてほしいと思います。

以上

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