30代中堅社員の平均像
学校を卒業して、入社後10年以上の年月を会社組織の中で過ごしていれば、基本的な仕事のやり方は身に付いています。
頼りになる先輩として、20代若手の指導を任されることも多いでしょう。
複数の仕事や様々な状況を経験し、自主的に問題解決に取り組んだ経験を持っているかもしれません。
複数の上司に仕えたり、社内事情も何となく見えてくる頃です。
経験や実績に基づいて、それなりの自信を持つのは良いことだと思います。
その自信はどこから来るのか?
ある特定の職種で特定の分野に一生懸命取り組めば、確かに知識は深まります。
サラリーマンはある意味、雑用との格闘が仕事ですが、ある特定分野の仕事だけを長年任されて、それが許されるのは上司や組織の都合など運の要素も大きいものです。
その環境下で、本人が真面目に取り組み続け、知識や経験を深めていけば自信につながるのは当然です。
この仕事なら社内では他の誰にも負けないという「第一人者」になることも可能です。
分野が限定されていても、相談されるようになればある種の優越感も味わうことが出来ます。
自分の狭い世界や経験に固執していないか?
ある特定の分野や仕事で実績を積み、知識や経験を深めるのは良いことではあります。
しかし、ある特定のことだけに固執し、それ以外のものに対して無関心だったり避けるようになっていたら問題です。
毎日、上司の指示通りに動くだけの作業員で一生を終わりたいなら構いませんが、そういう人間は年を取ると組織のお荷物になります。
そもそも仕事では、顧客の要望に応えるために幅広い知識や知恵を結集する必要があります。
各人が自分の狭い世界に固執して、未経験や知らないことは一切関知しませんという態度を取っていたら、新しい事態には対応困難となります。
各自が背伸びして、垣根を越えて、お互いに関心をもって、親身な態度で協力し合わなければなりません。
常日頃、自分の世界を広げる作業が不可欠なのです。
しかしある特定の仕事で評価されるようになると、そこが居心地の良い場所になり、知らず知らずのうちに自分にレッテル貼りをして外界に無関心になっていることがあるのです。
それはエゴイズムとも言えます。
長い年月をかけて幅広い経験をしなければ本当の自信は付かない
10年程度の経験で、幅広い経験をすることは難しいものです。
数千人や数万人という巨大な組織の場合は特にそうです。
様々な立場や職種で、多様な課題に直面し、失敗や成功を繰り返し、上司を含めてコミュニケーションに悩みながら成長するのです。
自分のことだけでなく、他者や他部署の都合も考えて仕事ができるようになるには、相当の年月と問題意識が必要です。
自分の過去の失敗も含めて、知識・経験を社内で共有化するためのマニュアルを作ったりすれば、大変喜ばれます。
人間は人生で経験を積めば積むほど、自分の無知を痛感するようになります。
本当の意味で自信がある人は、いい意味で謙虚な姿勢を持っているものです。
成長を拒んだ者が陥る罠とは?
たかだか30代そこそこの経験値で、居心地の良い狭い世界にこだわることを覚えてしまうと、そこで成長が止まります。
本質的な問題解決から逃げて、安易な姿勢に流されがちになります。
もちろん技能の向上は可能ですが、その範囲は狭いものです。
ある会社内でなくてはならない技能・知識を持っていても、あまりに狭すぎて汎用性がないと将来的に自分が困るかもしれません。
いまは天狗になっていても、その部署が永遠に続く保証はありません。
会社は景気や事業環境に左右される存在ですから、方針変更は日常茶飯事です。
明日から今の仕事はなくなるかもしれません。
そればかりか、今いる部署が急になくなる可能性もあるのです。
自分の狭い世界に固執してきた者は、他部署に移動させられたときに歓迎されません。
異動先の部署で必要な知識がないのでゼロから教えねばなりませんが、いい年した新人に教えるのはツラいですし、教えられる本人も地獄でしょう。
「プライド」はズタズタです。
20代だったら転職はしやすいですが、30を超えると急に難しくなります。
その時に、自分の住んでいる世界の狭さに気づいても手遅れなのです。
英語とか汎用性のある技能だったら、まだ救いがありますが、特定の業界の特定の知識では求人もほとんどありません。
まるで自分の人生が詰んでしまったかのような悲劇を味わう可能性があるのです。
最後に:
たかだかサラリーマンが、安易に自信を口にすべきではありません。
サラリーマンは無能の代名詞と心得て、常に謙虚に自分の守備範囲を広げる努力を怠ってはいけません。
「運よく」ヤりたい仕事に巡り合って「努力している」30代社員は、一見順風満帆に思えるかもしれません。
しかし長い人生では、思わぬところに落とし穴があることを認識して欲しいと思います。
以上